宇和海海況情報サービス「You See U-Sea」は、愛媛県水産研究センター、愛媛大学(南予水産研究センター、沿岸環境科学研究センター、理工学研究科) 及び愛媛県漁業協同組合、宇和海漁業協同組合連合会、愛媛県魚類養殖協議会、愛媛県真珠養殖漁業協同組合協議会、愛媛県真珠貝養殖漁業協同組合協議会、伊方町、八幡浜市、西予市、宇和島市、愛南町 が協力して宇和海沿岸一帯に整備した水温(一部水質を含む)監視ネットワークの情報をWEB上に公開するシステムで、愛媛大学理工学研究科によって開発されたものである。 水温を中心としたこれらのリアルタイム海況情報は、我が国最大規模の宇和海の養殖業や海面漁船漁業、さらには遊漁等にも非常に有益であるが、宇和海においてこれらの情報が特に有益であるのは、宇和海が「急潮」と「底入り潮」という特徴的な現象が起こる海だからである。 以下では、これら二つの現象の基本的性質やそれらの宇和海水産業への影響について解説する(より詳しい内容については、参考文献[1]を参照されたい)。 なお、以下の解説に用いる図等は、急潮や底入り潮の研究が大きく進んだ1980年代半ばから2000年頃までに観測されたものが大部分であるが、急潮や底入り潮の基本的な性質は現在も変わるものではない。
急潮とは、「突然の速い潮の流れ」を表す海洋学の用語である *1。 外洋に面した我が国沿岸の海で、黒潮などの外洋の流れの変動や風の変動などによって起こることが多く、通常は水温の急変を伴う。 相模湾では「大急潮」と呼ばれる強い急潮により定置網が流されるなどの被害を与えることで知られている。
豊後水道の急潮は、宇和島市の遊子漁業協同組合からの依頼で愛媛大学が開始した宇和島湾の漁場環境調査をきっかけとしてその実態が明らかになった。 図2は、図1の遊子の測点(K6)における海面下10mで1985年7~8月に観測された水温と流速の南北成分である[2] [3]。 図のように7月28日から29日にかけて水温が5℃程度急上昇し,同時に南向きの強い流れが起こっていることがわかる。 K6は遊子の水荷浦半島の内側にあるので、この南向きの流れは湾外から湾内への流入が起こっていることを示している。 図2では7月末ほど強くはないものの、7月12~15日頃に水温の上昇と南向きの流れが起こっていることがわかる。 このような現象が計測器で明確に測定されたのは宇和海ではこれが初めてである。 地元では海水が急に透明になることから「澄潮(すみしお)」と呼ばれていたが *2、Takeoka & Yoshimura[2]は、その後の調査も踏まえ、これらの現象が我が国の他海域で起こる急潮と類似の性質を持っていることから、より一般的な名称としてこれらの現象を「急潮」と呼ぶことにした *3。 現在では地元でも急潮という言葉が広く使われている。 なお、急潮という言葉からは非常に速い流れを想像しがちであるが、豊後水道の急潮は、図1の例では30cm/秒程度で、強くても50~70cm/秒程度である *4。 ただし、1988年9月下旬には養殖筏が沈みかけるほどの強い流れが起こり(写真1)、被害を与えたことがある(このときの流速は測定できていない)。
豊後水道、宇和海の急潮の主な発生原因は以下のように考えられている。
豊後水道南方の太平洋には世界最大規模の海流である黒潮が流れている。 黒潮は,赤道付近で暖められた海水を運んでくる暖流であり、沿岸水より高温である。 また、貧栄養な(栄養分が少ない)ため、植物プランクトンが少なく透明度が高い。 このため、沿岸水に比べて黒っぽく見えることが黒潮の名前の由来である(写真2)。 黒潮と沿岸水の境界は真っ直ぐではなく、黒潮水が沿岸水に舌状に張り出した構造ができることがある[4]。 この構造(黒潮暖水舌)が四国南西岸にぶつかり、まず豊後水道南方の宿毛湾一帯に急潮を起こし、さらにその一部が北上して豊後水道に急潮が発生する[5]。 このように、黒潮系水 *5の一部が流入することにより、宇和海沿岸で水温や透明度の急上昇が起こるのである。
写真2:(a)黒潮、(b)豊後水道、(c)瀬戸内海の海水の色(場所、季節や天候などの諸条件によって変化する)
この急潮発生過程を衛星画像でとらえた例を図3に紹介する。 図のように、5月13日から14日にかけて黒潮暖水舌が豊後水道に流入しつつあり、15日にはその先端が豊後水道中部に達していることがわかる。 16日以降の画像はないが、遊子の水温記録からは16日から17日にかけて4.5℃程度の水温上昇が起こっている。
豊後水道の急潮は、このような黒潮暖水舌を起源とするものが主であるが、台風などの強い風によって急潮が起こることもあることが最近明らかになってきている。
急潮として流入してくる黒潮系水は、図4に模式的に示したように豊後水道の表層を北上してくる *6。 黒潮系水は豊後水道の既存の海水より高温で密度が低い(軽い)ため、低温で密度が高い(重い)既存の海水に乗り上げる形で流入してくるからである。 また、水平的には豊後水道全体に広がるのではなく、豊後水道東部の宇和海側を流入してくる。 これは、地球自転の影響により、北半球で運動する物体は運動する方向から右向きに力 *7を受けるからで、北上して来る黒潮水はこの力により東側に押しつけられることになるのである。
図5は、流入してくる急潮を船舶による観測でとらえたもので(1992年7月25日)、(a)および(b)はそれぞれ(c)に示した測点C6~C1およびC9~C15の海面水温分布(上段)と鉛直断面水温分布(下段)である[6]。 急潮の流入が特に顕著に表れている南側の断面(b)では、豊後水道中央部の測点C10付近で海面水温が5℃以上も急変し、鉛直断面では東側には見られない22~27℃の暖水が厚さ30m程度でC10の東側に流入していることがわかる。 北側の断面の(a)でも、少し弱まっているものの同様な構造が見られる。 このように、この観測では豊後水道の東半分を厚さ30m程度で流入してくる急潮の構造が明確にとらえられている。 北側の測線でこの構造が弱まっているのは、後述するように、地形の影響を受けた日振島付近の複雑な流れにより、流入する海水と既存の海水が混ぜられるためと考えられる。
次に、流入する急潮の流れを短波海洋レーダ *8で面的にとらえた例を示す。 図6は、豊後水道の2カ所(佐田岬、大浜)に設置したレーダーから照射したビームの方向で、図7は1992年7月6日および7月9日の海面流速分布である[7]。 レーダーによる流速はビーム方向の流れの強さしか得られないが、2つのレーダーのビームが交わる点では流れの強さと向きがわかる。 図7は、ビームの交点で得られた流速を正方形の格子に振り分けたもので、さらに1日平均することにより往復する潮流成分をほぼ除去してある。 図7(a)では北西部の佐田岬近くを除き豊後水道内の流れは緩やかであるが、3日後の(b)では豊後水道東半分で北向きに強い流れが起こっており、急潮の流入がとらえられていることがわかる。 流速はおおむね30~50cm/s程度であるが、一部では70cm/s程度の所も見られる。
後に示す豊後水道広範囲での水温観測結果(図8)からは、以上に示した2つのうち、図5の急潮はかなり強い急潮で、図7の急潮は中程度の強さの急潮であったと判断される。
急潮は、一般的には「突然起こる」現象であるが、豊後水道の急潮にはある程度の規則性(周期性)がある。
図8は、図1の測点K1(高知県沖ノ島)からK11(佐田岬)の海面下5m(K1では2m)で測定された1991年から1994年の水温である。 各図の縦軸はK1の水温を示しており、その他の測点の水温グラフは5℃ずつずらして描かれている。 図のK1の水温には、各年ともほぼ通年で短周期(約1週間から2週間程度)の水温変動が見られる。 これらの水温変動の大部分は、図3のような暖水舌が繰り返し発生してK1に到達することによって起こると考えられる。 一方、豊後水道内部の測点では、北へいくほど水温変動の頻度が低下していくが、その変化には大きな特徴がある。 一つは、冷却期(海面を通して海が冷やされる時期。10月から翌年3月頃)には豊後水道南部から中部にかけて水温変動が減衰していき、北部にはほとんど伝わらないということである。 このような状況は、1991年12月や1992年3月、11月などに明瞭に見られ、測点K5(下波)あたりが水温変動が伝わる北限になっているようである。 もう一つの特徴は、加熱期(4~9月頃)のうち特に7~9月頃に北部の測点K10まで到達する明瞭な水温変動が見られることである。 この変動の周期は約2週間であり、詳細に見ていくと水温上昇はおおむね小潮の頃に起こっていることがわかる。
以上をまとめると、豊後水道南部では、急潮は1~2週間周期でほぼ通年起こるが、冷却期には中部ぐらいまでしか伝わらず、加熱期には小潮の頃に限って北部まで伝わるということになる。 このようになる原因は、海水を混ぜる作用の変動であると考えられている[3] [5]。 すでに述べたように、急潮は高温で密度が低い(軽い)海水が低温で密度が高い(重い)既存の海水に乗り上げる形で流入してくるものであるが、これらの海水を混ぜる作用が強いと密度の差が小さくなり、急潮は弱くなる。 海水は冷えると重くなるので、海面が冷却されると海面近くの海水が重くなって沈降し、鉛直対流が起きて海水は上下に混ぜられる。したがって、冷却期には急潮は弱くなりやすい。 また、豊後水道での主要な流れである潮流に関しては、流れが強いほど乱れ(乱流)や渦による鉛直流によって海水が混ぜられるので *9、大潮期には急潮は弱くなりやすい。 これらの結果、豊後水道南部で頻繁に発生する急潮は、加熱期の小潮の頃に限って北部まで伝わるということになる。 このことを模式的に示したのが図9である。 潮流によって海水を混ぜる作用は、中部の日振島付近で特に強くなる。 多くの島が集まるこの付近では、島の間の狭い水道で強い潮流が発生する上、複雑な地形により大小様々な渦も発生するからである。 写真3に、2000年9月4日に航空機によって観測した詳細な海面水温の分布 *10を示す。 日振島付近で周辺より水温が低くなっていることが明瞭に見て取れるが、これは表層の海水が底層の低温の海水と混ぜられたためであり、この付近の混合作用が強いことよくがわかる。 冷却期の急潮が測点K6(遊子)以北にほとんど伝わらないのも、この海域の強い混合作用によるものである。
図8の4年間のデータからもわかるように、急潮の発生のしかたは年によってかなりの変動がある。 急潮の発生原因が黒潮の暖水舌であるため、この変動は主に黒潮の流路の変動に関係すると考えられるが、詳細については文献[1]を参照されたい。
宇和海において急潮が大きな意味を持つ理由の一つは、沿岸の湾内の海水を効率的に入れ替えることである。
宇和島湾での流れや水温の観測[2]、宇和島湾の鉛直断面における水温の繰り返し観測[8]、下波湾の鉛直断面における水温の繰り返し観測[9]などから推定される湾内水の交換過程の模式的を図10に示す。 この図は、深さ40m程度の湾に急潮により厚さ20m程度の暖水が流入してきたことを想定している。 薄い水色が既存の湾内水で、水温は必ずしも均一ではないが、ここでは湾内水全体を同じ色で表現している。 急潮の暖水は(a)のように湾の上層に流入し、(b)のように湾奥に達しても慣性により(勢いにより)流入は続いて暖水は厚さを増し(c)、急潮の規模や湾内水の状態によっては(d)のように海底まで達した後に流入が停止する。 その後は、湾内の暖水が湾外より厚い状態となるので、湾内の暖水が湾外へ流出し、湾内の下層に湾外水が流入してくる(e)~(g)。 (d)までの間に流出した既存の湾内水は、(e)までには湾外の強い潮流により拡散・稀釈され、(e)以降に流入する湾外水にはほとんど含まれないと考えられる。 したがって、(a)~(g)の間に既存の湾内水はすべて入れ替わることになる。 これは理想的な例であるが、通常の急潮では大部分の湾内水が入れ替わるといってよいであろう。
ここで参考までに、これまで観測された急潮の中で、水温変化が最も急速に起こったものと水温上昇量が最大のものを示しておこう。
図11 [1]は1991年4月上旬におけるK3の水温である。 図のように、4月5日に約4℃の水温上昇が見られる。 この上昇は測定間隔の30分以内という極めて短時間に起こっているが、これほど短時間での水温上昇は豊後水道において現在まで他に観測されていない。 図8(a)のように、この時は他の測点でも大きな水温上昇が見られ、強い急潮の発生を示している。 図12 [1]に同年4月2日14時のNOAAによる海面水温分布(パターンのみ)を示すが、典型的な暖水舌が現れており、この暖水舌が強い急潮を起こしたことがわかる。
水温上昇が最大の急潮は、図8(c)の1993年7月末の急潮である。 この時の水温上昇量は場所により7℃余りにも達しており、その場所での水温年較差の半分を超えるほど大きなものであった。 このように大きな水温上昇が起こった原因は、急潮の水温が特別に高かったからではなく、図8(c)に見られるように6月半ばから豊後水道一帯で水温が低下し、急潮前の水温が低かったからである。 この水温低下は、非常に強い底入り潮によって豊後水道底層の水温が大きく低下し、その影響が表層にまで及ぶことによって起こったことが明らかにされている[10]。
なお、急潮による流れの観測は水温観測ほど頻繁に行われていないので、記録的な流れの例を挙げるのは困難である。 写真1に示したように遊子で養殖筏に被害のあった1988年の急潮については、急潮の流れのみでなく、内部潮汐による流れが加わって非常に強くなったものと考えられるが、詳細は文献[1]を参照されたい。
底入り潮 *11とは、豊後水道南部の陸棚斜面底層から豊後水道底層に低温で高栄養塩の海水が流入してくる現象である(図4)。 この現象は、後述するように急潮とともに宇和海にとって重要な意味を持っているが、底層での現象のため急潮に比べて圧倒的に観測データが少なく、実態や発生原因については未解明の部分が多いので、ここではその概略を示すにとどめる。
底入り潮を初めて明確にとらえたのは、愛媛県水産試験場(現愛媛県水産研究センター)が1994年7月27日~8月5日に図13の測点で行った繰り返し行った観測である[11]。 図14に、図13の測線Lでの鉛直断面における水温、溶存態窒素(DIN)、リン酸塩、珪酸態珪素の分布を示す。 図14(a)では、7月27日に測点5以南の陸棚縁底層にあった20℃以下の冷水が日を追って豊後水道内部に進み、8月5日には豊後水道中央部の測点12近くにまで達しており、底層からの流入(底入り潮)が明確にとらえられている。 また、図14(b)~(d)における栄養塩(次章(1)基礎生産への影響、参照)の高濃度域は図14(a)の低温部とよく一致しており、底入り潮により豊後水道底層に栄養塩が運び込まれていることがわかる。
図14:図13の測線Lの鉛直断面における各分布(1994年7月27日~8月5日)
図14の観測結果を受け、底入り潮の頻度などをより詳しく調べるため、愛媛大学と愛媛県水産試験場が連携して、図1の測点Uの海面下5m及び68mにおいて1995~1996年に水温の連続観測を行った(測点Uでは、1997年7月に愛媛県漁連により衛星通信式の多層水温計による観測が開始された *12)。 図15にこの観測結果を示す[12]。 この図で最も特徴的なのは、6月半ばから7月末にかけての底層の水温低下である。 この低下は連続的ではなく、赤矢印で示した3回の急激な低下によって起こっている。 さらに、底層水温は10月頃まで上昇していくが、この間にも急激な低下は繰り返し起こっている。 これらを含め、急激な水温低下の後に緩やかに水温上昇が起こっている赤矢印の箇所が底入り潮による水温低下と考えられる。 この結果によれば、底入り潮は5月から11月頃、すなわち初夏から晩秋にかけて起こっていることになる。 一方、図15では1月から4月にも底層での水温変動が見られるが、これらは急激な水温上昇の後に緩やかな水温低下が起こっているもので、表層の水温に連動していることからも、これらは底入り潮ではなく、急潮による水温上昇が底層にまで及んだ後に元の水温に戻る過程と考えられる。
図15:測点U(図1)の海面下5mおよび68mにおける1995年6月から1996年7月の水温
このように、底入り潮は初夏から晩秋にかけて起こっているばかりでなく、詳細に調べるとほとんどの底入り潮は小潮を中心に起こっていることがわかる[10]。 このような底入り潮の季節性と潮汐同期性は急潮のそれらとよく似ており、急潮と底入り潮が連動しているような印象を与えるかも知れない。 しかし、詳細に見ればこれらの季節的発生特性には合致しない部分もある。 また、潮汐周期に関しても、図15で急潮と底入り潮が近い時期に起こっているケースでは、これらがほぼ同時に起こっているケース、急潮が先に起こるケース、底入り潮が先に起こるケースのいずれもがあり、規則的な関係が見られない。 これらのことから、急潮と底入り潮の発生機構は独立なものである可能性がある[12]。 なお、測点Uでの60m層における1997~2011年の水温データを解析した最近の研究によれば、底入り潮と判断される水温低下が小潮の頃に発生するという特徴は明確でない[13]。 このような大きな違いの理由としては、データの観測層の違いも可能性として考えられるが(図15の底層水温は68m層)。 まだよくわかっていない。
急潮と底入り潮は豊後水道、宇和海での顕著な現象であり、環境や生態系、水産業などに以下のような様々な面で影響を及ぼしている。
以下ではこれらのうち宇和海での養殖を支えているⅢⅣについて述べる。 そのほかの影響についてはそれぞれの項の注釈に示した文献や文献[1]を参照されたい。
宇和海沿岸のようなリアス式の複雑な地形の内湾は、波が穏やかで養殖施設設置には有利であるが、一方で海水が停滞しやすいため、給餌養殖である魚類養殖を大規模で行うと、養殖魚の排泄物や残餌により富栄養化が進み、赤潮が発生しやすくなるという欠点もある。 しかし、宇和海では特に赤潮が発生しやすくなる夏季を中心に急潮が発生し、図10に示したように湾内の海水を効率的に入れ替えて赤潮の発生を抑制している。 黒潮流路の変化により急潮が弱まると赤潮が発生することもあるが、赤潮が発生してもその後の黒潮流路の変化等で急潮が発生すると短時間で赤潮が消滅する。
1994年には8月末から約3ヶ月間Gonyaulax polygramma赤潮が発生し、宇和島湾周辺の養殖魚介類を中心に約8億円の被害があった。 この赤潮は、本種の赤潮形成に好適とされる、発生前に長期間日照が続くことと少雨であることの二つの状況があったことに加え、急潮が少なかったことも要因とされている[21](この年の7月以降に急潮が弱かったことは図8の水温からも明らかである)。 また、2000年には宇和海では初めてシャトネラの赤潮が発生したが、大被害に至る前に急潮によって消滅した。 2012年に宇和海沿岸で約12億円の被害を出したKarenia mikimotoi赤潮についても、気象条件のほか、急潮の停滞も要因となっている可能性が高い。 これらのほか、2007年に3億7400万円の被害を出したKarenia mikimotoi赤潮が底入り潮による海水交換で消滅した例も報告されている[22]。
基礎生産とは植物による光合成のことであり、食物連鎖により高次の生物の生産につながることから基礎生産(または一次生産)とも呼ばれている。 海での基礎生産は、海岸近くの海藻や海草によるものもあるが、ほとんどが植物プランクトンによるものであり、その大半は植物プランクトンのうちの珪藻類によって行われている。 珪藻類は、栄養塩 *17として窒素(N)、リン(P)、珪素(Si)を必要とし、食物連鎖により水産資源の増加につながるため善玉プランクトンと呼ばれることがある。 一方、海には珪素を必要としない渦鞭毛藻類などの植物プランクトンももいるが、これらは水産資源の増加につながりにくく、さらにしばしば有害赤潮を起こすため、悪玉プランクトンと呼ばれることがある。 宇和海では、急潮と底入り潮により、悪玉プランクトンを減らし善玉プランクトンを増やすメカニズムが働いていると考えられているが、その概略は以下のようである。
図16(a)は急潮、底入り潮ががないときの状況である。 宇和海には流入する大きな河川がないので陸域からの栄養塩(N,P,Si)供給は少ないが、魚類養殖からN,Pが供給されるので、急潮等がなくて海水交換が弱いと湾内は容易にN,Pによって富栄養化し、Siを必要としない渦鞭毛藻類などによる有害赤潮が発生しやすい状況になる。 一方、(b)は急潮、底入り潮がある実際の状況で、魚類養殖から供給される過剰なN,Pは急潮による海水交換で湾外に排出され、急潮後に底層に湾外から栄養塩豊富な低温水が流入してくる。 この低温水の起源は底入り潮と考えられ[11]、図14(d)に示すように底入り潮にはN,Pばかりでなく珪藻類に必要なSiも豊富である。 この栄養塩供給に加え、急潮による透明度の増加により(写真4)海底にも光が届くようになり、底泥中の珪藻類の休眠細胞が光によって発芽し、底層への流入によって浮上するとともに流入した栄養塩を利用して増殖していくと考えられている[23]。
以上が宇和海の基礎生産に対する急潮と底入り潮の役割の概略であるが、底入り潮により供給された栄養塩が基礎生産に結びついていくメカニズムについて少し詳しく説明しておこう。 図14からわかるように、底入り潮は豊後水道、宇和海の海面下60~70mより下に流入してくる現象であり、通常はこの深さまでは光はほとんど届かないので、このままでは底入り潮によって供給された栄養塩が基礎生産に利用されない。 しかし、多くの島や岬により地形の複雑な日振島付近では、写真3でもわかるように海水が鉛直によく混合される *18。 海面近くの高温で密度の低い(軽い)海水と底入り潮で流入した低温で密度の低い(重い)海水が混合した海水は、密度がこれらの中ぐらいとなり、図18のように表層(低密度)と底層(高密度)の中間に流入していく。 底入り潮によって流入した栄養塩は、図21の赤い矢印のように混合域を経由して光の届く中層に流入し、基礎生産に利用されるようになる。 このようなシナリオによる基礎生産の増加を示すと思われる観測例を図19に示す。 この図は、図1のK4の沖合2測点で1998年6月と7月に測定した水温、塩分とクロロフィルa *19濃度の鉛直分布である。 図のように、両測点とも6月には水温が表層と底層で1℃程度しか差がなかったが、7月には表層で水温が上昇する一方で底層では水温が6月より低下し、この間に底入り潮が発生したことを示している。 注目されるのはクロロフィルa濃度の分布で、6月には全層で0.6μg/l程度以下だったものが7月には20~30mの中層で2μg/l程度まで大きく上昇している。 この基礎生産に利用された栄養塩は、図18のように日振島付近の混合域から中層に供給されたものである可能性が高いと考えられる。 速吸瀬戸周辺の伊予灘中層におけるクロロフルa濃度のピークに関しても、これと同様なメカニズムが報告されている[24]。 図19の観測例は、測点の水深が70m程度あるので、図18では左側(沖合成層域)にあたり、中層域への栄養塩輸送の一部は赤い点線矢印のようにその場での弱い鉛直混合による底層からの直接的な輸送が担っていると考えられる。 しかし、北灘湾などの奥深い湾では多くが水深40m程度であり(図18右側)このような湾内への栄養塩供給には、混合域を経由した輸送が必須であると考えられる。 なお、図18の沖合成層域のように、成層域底層の栄養塩が混合域 *20を経由して成層域中層に運ばれるメカニズムは「栄養塩バイパス」と呼ばれている[25] [26]。
以上のように、急潮と底入り潮は、赤潮の発生を抑制して大規模な魚類養殖を支えるとともに、珪藻類による基礎生産を維持し、これらを餌とするアコヤガイの生産や天然の水産資源の生産をも支えていると考えられる。